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書評

 

藤田菜々子著『ミュルダールの経済学 福祉国家から福祉世界へ』NTT出版

ミュルダール思想の全体像を捉えた渾身作」


『経済セミナー』20106-7月号、128頁、所収

橋本努

 


 

 今年最大の収穫となるだろうか。二〇世紀の福祉国家を擁護した最大の経済学者、ミュルダールの人生と業績の全体に迫る渾身作。満を持しての刊行だ。

 貨幣論と方法論の分野で頭角を現したミュルダールは、三〇代にして早くも現実政治に関心を示し、国会議員となって自国の政策に深く関与する。第二次世界大戦が終わると、こんどは国際的な知識人として名を馳せ、低開発国に共通するジレンマを描く一方、福祉国家の限界を超える「福祉世界」を展望した。その恐るべき執筆量と多岐にわたる仕事のため、ミュルダールの全体像はこれまで描かれずにきた。だが、かかる巨人の輪郭を掘り出すことこそ、経済思想研究の醍醐味だ。本書は、ミュルダールの業績と二次文献を網羅的に調べつつ、主旋律を前面に浮かび上がらせる。重箱の隅をつつく脇道はすべて注に落とし、主題が何であるのかを絶えず印象づける点では、あたかも交響曲のような仕上がりだ。凛とした文章も手伝って、光脈を探り当てたかのように麗しい。

 むろん著者は、ミュルダールに敬愛を示しながらも、彼の中核的信念については冷徹な態度でのぞみ、客観的な評価をくだしている。ミュルダールの思想のみならず、福祉国家体制の本質を見つめ直すためにも、本書は一読に値するだろう。福祉国家をめぐる主戦場は、なんといっても本書第二章で検討される方法論。若きミュルダールは、価値判断から独立した経済学が可能であると訴えたが、一九五三年の『経済学説と政治的要素』英語版序文では、自身の立場をひるがえす。論理の前提として、価値判断を明確にしなければならないと考え直した。五五歳にして自説を曲げたわけだが、かれは誠実にも、自らの価値前提をできるかぎり列挙した。生産性の向上や平等化、あるいは民族独立や社会規律といった「近代化の諸理念」を、およそ十項目挙げたのだった。

 ところがかかる価値前提は、いったい誰の選択によるのか。ミュルダール本人なのか、それとも近代の福祉国家を担う国民なのか。それが方法的に示されない点で(そしてこの要所で拙著から引用していただき恐縮だが)、ミュルダールは自身の価値評価を公的機関と重ね合わせるという、体制エリートだったとみるべきであろう。実際、ミュルダールは大学生の時分、「インテリ党」を創設して、粗暴な大衆をエリートが制御するという発想を好んだという。

 そんなエリート学者が語る思想にも、多大な真理がある。ミュルダールは、途上国が平等政策を推進した場合に経済成長するという「累積的因果関係論」を、経済学の枠からはみ出て学際的に展開した。また、出生率を上げて人口を維持するために、現物給付や子育ての社会化など、リベラルな政策のあらゆる可能性を探究した。しかも彼は、福祉国家の弱点についても自覚的で、消費者団体の脆弱さや、民主主義の未熟さによる中央集権化に警告を発し、地方分権国家こそが理想的と考えた。さらに国家間の利害対立を乗りこえるために、低開発国への援助や国際課税制度を提案したりもしている。

 こうした提案はいずれも、未来を見据えたビジョンであり、その先駆性に改めて敬服したい。福祉国家の歴史とともに歩んだミュルダールの人生は、エリートたるものかくあるべし、という規範を与えている。理想をかかげ、現状に悲観しながらも、「それでもなお!」とエネルギッシュに前進する。かかる気魂こそ、ミュルダールから学びたいものだ。